田丸城址

2022.11.9
 田丸城址を空撮することができました。
 田丸城は南北朝動乱期の延元元年(1336年)後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、愛洲氏や度会氏などの援助を得て玉丸山(たまるやま)に築いて、南朝方の拠点としたことが始まりとされている。
 南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊に通じる道は、軍事、経済の面からも吉野朝廷にとっては最重要路線であり、玉丸城は北朝・南朝の攻防の舞台となった。
 室町時代には、伊勢国司となり、一志群美杉村の多気(たげ)に館を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となっていた。
 天正3年(1575年)織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が、玉丸城に大改修を加え、本丸、二の丸、北の丸を設け、本丸には三層の天守閣を建て田丸城の誕生となった。天正8年(1580年)にはこの天守閣は炎上した。
 江戸時代には紀州藩主徳川頼宣の家老久野宗成が田丸城主となり、久野家は代々城代を勤めた。明治維新で廃城となった南伊勢随一の名城である。かつての城内には玉城町役場、玉城中学校、保育園などがある。