鈴鹿医療科学大学 白子キャンパス

 1938年、偵察飛行兵を養成する練習航空隊として鈴鹿海軍航空隊がこの地に開隊しました。17歳と22歳前後の若者がこの航空隊で約半年間の飛行訓練を受け、各実践航空隊に配属され、アジア・太平洋戦争へとかり出されていきました。戦争末期にはこの航空隊は閉鎖され、「第一鈴鹿海軍航空基地」として改編され、同時に練習機「白菊」を特攻機とする「若菊隊」が結成され、日々、特攻訓練がおこなわれ、沖縄戦の特攻隊員として出撃した人も少なくありません。  
 戦後は鈴鹿電気通信学園の校舎となり、兵舎や格納庫などほとんどの建物が残されていました。戦争映画や映画「埋もれ木」のロケ地にも使用されました。しかし80年代より次々と建物は建て替えられ現在は移築された正門と番兵塔、モニュメントなどが桜の森公園内に「戦争遺産」として残されています。2008年4月、北側一帯がNTT西日本跡より鈴鹿医療科学大学に売却され白子キャンパスが開校し、現在に至って居ます。  
 2022年3月28日 歴史ある施設を活用している鈴鹿医療科学大学白子キャンパス内に残された古木で素晴らしい桜並木を撮影できました。ご覧下さい。