鳥羽城址

2025年6月4日(水) 歴史探偵「海の戦国 九鬼水軍」がNHKで放送されました。鳥羽城が九鬼水軍の本拠地であったことを知り、6月6日に早速ドローンを携えて、空撮に行って来ました。
 鳥羽城があった鳥羽湾に突出した部分には中世、橘氏の居館があり、1594年(文禄3年)当時、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆がその跡地に築城しました。その後、九鬼家3代、内藤家3代、天領、土井家1代、大給(松平)家1代、板倉家1代、戸田(松平)1代と目まぐるしく城主が代わり、1725年(享保10年)以降に稲垣家8代で漸く定着しました。1854年(安政元年)に地震により城内天守以下の建物が倒壊し、修理を加えないまま、1871年(明治4年)に取り壊されました。
 鳥羽城は、妙慶川河口に位置する高さ40mの段丘の上に築かれました。九鬼嘉隆は海戦での活躍で知られた海賊で、信長の命令で鉄甲船を製造、毛利氏を打ち破ったことは有名です。
 その後は、秀吉の水軍となり、関ヶ原の戦いでは嘉隆は西軍につき、どちらが勝っても家が残るよう、嘉隆の次男、守隆は東軍につきました。西軍の敗戦を知ると鳥羽城の東約3kmに浮かぶ答志島へと逃亡、その後、家康から許されるも時すでに遅く、家臣の促しにより答志島で切腹しました。答志島を訪れると嘉隆の胴塚と首塚があり、首塚は海を望む場所に建立されています。