松阪港

2023.6.3 穏やかな天気に誘われて、松阪港をドローンで空撮してきました。
1588年(天正16年)、飯高郡の松ヶ島城から四五百森(よいほのもり)に城が移り松坂城下町が整備されると、城下の交通は阪内川(さかないがわ)、広域輸送は大口港が担うようになった。江戸時代には紀州藩松坂領内の米の集散地として機能し、米倉も建てられた。また、参勤交代の際には三河国渥美郡・吉田と尾張国愛知郡・熱田を結ぶ船が寄港したという。
また、1913年(大正2年)には松阪軽便鉄道(三重交通)大口線が開業。港のある大口駅から松阪市街の平生町駅を介し、松阪駅や山間部の大石駅まで鉄道が結ばれた。
第二次世界大戦の終結後、松阪市が沿岸を埋め立てた工業団地に、セントラル硝子を始めとする企業を誘致した。セントラル硝子は1936年(昭和11年)山口県宇部市で創業した宇部曹達工業が母体で、ガラス事業に進出するため、1963年(昭和38年)にセントラル硝子松阪工場を当地に設立した。国道23号線から松阪港まで3kmほどの距離です。南には櫛田川や愛宕川の河口があり、北には坂内川と三渡川が注いでいます。行政的には県庁所在地の津市にある津港と交通の結節点・松阪市にある松阪港を統合して、津松阪港と言われているようです。